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Vol.107 『二百三高地』

二百三高地観賞映画振り返りコラムの42回目は1980年に観た『二百三高地』。丸ノ内東映(現在のTOEI(1))で、父親に連れられて家族4人で観ました。家族揃って映画館に行ったのはこの作品が最後になりました。
日露戦争で激戦となった旅順攻略戦を描いた戦争大作映画。大ヒットを記録し、翌年にはテレビドラマも作られました。さだまさしさんが歌う主題歌『防人の歌』もヒットしましたね。


アメリカの戦争映画がどんどん反戦色が強くなっていく中、邦画もやはりその傾向が強くなり、戦場がどんなに悲惨なのか、戦争という狂気が人をどのように変えていくのかをまざまざと描いています。
それまでの戦争映画というと、主役は兵隊であっても、やはり政治家や将軍クラスがメイン、あるいはその戦争における作戦行動を描くといったシナリオが多かったように思います。この作品は、ポスターこそ乃木希典(仲代達矢)、児玉源太郎(丹波鉄郎)といった大将2人がメインになっていますが、主役は最前線で戦う一兵卒。
それぞれが様々な思いを故郷に残し、戦場へ赴いた者たち。ごく普通の民間人が徴兵され、戦地での過酷な状況においてどのように変わっていったのか。ロシアとの友好を望んでいた者が心底ロシア人を憎むようになる……戦死者3000名以上という地獄のような戦場を克明に描き、その映像によって戦争の恐ろしさと愚かさを伝えています。
その一方で、その後の日本海海戦での大勝利に喜ぶ市民の姿などが非常に対称的に描かれ、日本という国がその後、2つの世界大戦へと突き進んでいき、引くに引けなくなった一つの要因がこのようなところにあったのではないかという示唆を含めているのではないでしょうか。命令する者、戦う者、残る者。同じ時代を生きながら、それぞれの立場から一つの戦争を描くことによって、この後に続く時代を暗示している気がします。
勝利に沸き立つ国内と対称的な乃木将軍の憔悴した姿。日本映画史に残る名シーンだと思います。
この映画の中で前線の兵達に食料が配られるシーンがあるのですが、その米が赤いのをみて今日は赤飯かと喜ぶシーンがあります。実はその色は血で染まって赤くなっていたのですが、ほとんどの兵がそれを知って食べない中、新沼謙治さんが演じた木下という兵だけがばくばく食べていました。
そのシーンについて父親が「最後は、どんなことがあって食べられるやつが残るんだ」と語ったのがすごく印象に残っています。食べられないときこそ食べる。それが次へつながる。いざというときに食べられない人間ではダメだ。父親が残した数少ない教訓です。
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