Vol.127 『SPACE BATTLESHIP ヤマト』
TOHOシネマズ日劇にて『SPACE BATTLESHIP ヤマト』を観賞。アニメ『宇宙戦艦ヤマト』を原作として実写映画化した作品。ヤマトシリーズは去年試写で観た『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』以外はすべて初日に観賞してるので、この作品も当然初日に。
この作品のように、昔の作品、しかも大ヒットした作品をリメイクする場合、どうしたって旧作と比較されるため、作り方が難しいですよね。旧作とまったく同じように作るか、あるいは現代風にアレンジするかのどちらかしかない。これを中途半端にすると旧作のファンからは違うと言われ、初めて観る世代には古いと言われてしまいます。今回の作品はというと、その、やってはいけない中途半端などっちつかずの作り方をしてしまっているなというのが私の印象です。
新しい設定、新しい解釈を加えるならもっと大胆にアレンジすべきでしたし、旧作ファンに訴えかけるならそのテイストをきちんと咀嚼して入れ込むべきではなかったかと。かつての名セリフもいろいろ出てくるのですが、無理矢理入れた感が否めません。「バカめ」の使い方は間違ってるし、真田の名セリフも説得力がない。
アニメではイスカンダルへの往復、それからテレザート星への旅といった長い死闘の旅路があり、その間につむがれた仲間達との絆があって様々なセリフが意味をなしてくるわけで、それをこの映画の中だけで描くのは時間的な制約があって難しいですし、説得力が得られません。
こういう部分はシナリオの組み立て方でいろいろできたと思います。たとえば言葉でしか語られなかったチーム古代の話であるとか、沖田・真田・古代守の話、古代進と島の話などをもう少し掘り下げていればまったく印象が変わったと思います。それをすっ飛ばして古代進と森雪の話にばかり焦点が当たっているため、古代とヤマトのクルーとの関係が今一つ描き切れていない感じがします。
また、沖田と古代進の関係も、当初反発していた古代が沖田のことを理解し、沖田のすごさを認識して信頼を寄せていくという下りが足りません。古代守のように沖田も自分の子どもを亡くしていると佐渡先生に説明されますが、それだけでその信頼関係が築けたとするのはいささか強引すぎるのではないでしょうか。ちょっと沖田の描かれ方自体、いろいろ不足気味とも思います。
当初、いろいろ言われた俳優陣については私はなんら違和感はありませんでした。それぞれがそのキャラクターを明確に演じてますし、木村拓哉さんの古代進もアニメとは違いますが、きちんと古代進というキャラクターだったと思います。柳葉敏郎さんの真田は見事にはまってましたし。
VFXはというと、山崎監督と白組ですからそのできばえはすばらしいですし、日本最高峰といっても過言ではないと思います。しかし、世界に挑むというのはちょっと大げさすぎるかなと。もちろん予算のかけ方も時間のかけ方も違いますが、ハリウッドの映画には届いていない気がします。
戦闘シーンもスピーディで迫力もありますが何か違う。『スター・ウォーズ』シリーズの戦闘シーンに比べてリアリティに欠けるというか、実物感がないというか……。具体的にどこがどう違うのかとうまく説明できないのですが、目の前でそれが本当に行われているという臨場感がもう一つ得られないんですよね。
またヤマトの大きさが感じられないというのもあります。500mを超える金属の塊が飛んでいるようには見えないし、その重さが感じられません。土の中からの発進シーンも手がこんでいて、これまでの日本映画にはない迫力でしたが、崩れ落ちる岩が重そうに見えないんですよね。世界とか言わなければこのようなことを言わないのですが、世界に挑むというならそのレベルに達した映像を観せてほしいところです。
全般的に戦闘シーンが少ない気もしました。ヤマトの活躍を観に行ったのに人間ドラマのほうに重点が置かれているという感じでしょうか。なんというか……男が観たいと思うヤマトの映画ではなかったというと言い過ぎでしょうか。
映画としては、おもしろいですし、よくできているとは思いますが、『さらば宇宙戦艦ヤマト』で涙した、あの感動まではいたりませんでした。「必ず生きて帰る」をキャッチにするなら、そのための真剣さ、男のドラマを観たかったです。
いろいろな意味でせっかくの素材の調理の仕方がもったいない感じの作品になってしまったというところでしょうか。
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SF映画, コラム
2010/12/05 17:48 MOVIEW